第13回 古川・吉野作造ゆかりの場所
4月になり新しいスタッフが加わりましたので、合間を見つけて古川の町中にある吉野作造ゆかりの場所を見て回りました。吉野作造は旧制中学校入学後は古川を離れましたが、市内にはゆかりの場所がいくつかあります。お客様からもそうした質問をよく頂きますので、学芸スタッフとしては把握しておかないとなりません。

◇吉野作造生家跡地(古川十日町)
吉野作造の生家跡地は、現在は小さな公園になっています。「吉野ポケットパーク」などと呼んでいますが、正式には「吉野作造生家跡パーク」と言うようです。

吉野の生家がこの場所にあったのは1908年(明治41)まで。「明治41年の大火」と呼ばれる大火事で家は焼けてしまい、その後吉野の家族は別の場所へ引っ越しています。
公園の奥には、この場所が生家跡であることを記したモニュメント(右写真)があります。

◇瑞川寺(古川三日町)
曹洞宗のお寺で、吉野家のお墓があります。こちらには作造の父・年蔵、母・こう、吉野家を継いだ長姉・しめ、姉婿にあたる和平はじめ、ご本家筋の方がいらっしゃいます。作造や弟・信次は吉野家を継がなかったため、お墓は東京にあります。

◇古川第一小学校
吉野の母校です。校門前には吉野作造を顕彰するパネルと、「頌徳碑」と刻まれた石碑。
この「頌徳碑」は、吉野の小学校時代の恩師・細川松三郎を顕彰するもので、建立者として「門人総代 三浦吉兵衛 吉野作造」と名前があります。三浦吉兵衛は吉野と小学校から大学まで同窓だったドイツ文学者です。
「頌徳碑」の揮毫は吉野の旧制中学校時代の恩師でもある国語学者・大槻文彦によります。吉野の少年時代の充実した教育環境がうかがえます。
記念館のおとなりの荒雄公園では、ソメイヨシノが満開(やや散り始め)です。天気予報では、この週末は天気が良さそうです。お花見日和でしょうか。お花見の方はぜひ吉野記念館にもお立ちより下さい。