吉野作造記念館デジタルギャラリー

A-1-020

[吉野作造肖像]

1906~1908年(明治39~41)頃

中国時代(中国服を着た写真)

袁世凱の長子・克定の家庭教師の職を斡旋された吉野作造は、1906年1月から妻・たまの、三女・光子を伴って清国に赴任(~1909年1月)するも、契約上の行き違いから半年程の間給与が支払われないなど苦しい生活を強いられた。赴任2年目の1907年(明治40)からは北洋法政専門学堂の教習を兼務し、ここで今井嘉幸と親交を深める。清国赴任中は長く天津に居住し、同地の日本人居留民団でも活動した。