吉野作造記念館デジタルギャラリー

A-3-014

[吉野と関係者]

1900年(明治33)8月

清野金太郎と共に古川にて

左が清野金太郎、右が吉野作造。吉野はこの写真の前月に第二高等学校法科を卒業し、9月から東京帝国大学に進学している。清野金太郎と吉野は古川小学校(現・大崎市立古川第一小学校)以来の友人で、小学校ではともに雑誌作りに取り組んでいた。主に清野が絵を描き、吉野が文章を書いたという(「投書家としての思ひ出」『文藝春秋』1926年6月、『吉野作造選集』12巻、所収)。吉野と清野の交流は生涯にわたって続いた。また、清野は1902年(明治35)4月に講演のため古川に来た海老名弾正から受洗している。