吉野作造最晩年の写真。この年の吉野の主たる活動は1927年(昭和2)から配本が始まった『明治文化全集』の刊行である。その活動の様子は『吉野作造選集』15巻所収の同年の日記からもたどることができる。この年の吉野は夏頃からたびたび呼吸器系の不調を訴えている。11月には「衰弱の極点」であると医師から安静を求められ、肺結核の可能性も考えられたことから自宅での療養生活に入った(日記、11月9日条)。