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吉野作造記念館デジタルギャラリー

A-2-005

[吉野と家族]

たまの夫人・光子(三女)・秀(四女)と共に天津にて

写ってる人物は、右から順にたまの(作造夫人)・光子(作造三女)・作造・秀(四女)。袁世凱の長子・克定の家庭教師の職を斡旋された吉野作造は、1906年1月から妻・たまの、三女・光子を伴って清国に赴任した(A-1-020の解説も参照)。写真の時期は正確に同定できないが、四女・秀の出生は1907年(明治40)8月であるから、同年から翌年にかけてのものと考えられる。

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