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吉野作造記念館 電子展覧会 No.1
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Ⅳ 世界をこの眼で
東京帝国大学を卒業した後、吉野作造は中国清王朝の権力者・袁世凱の息子・克定の家庭教師の仕事を世話され、1906年(明治39)から3年間を中国で過ごします。また、1910年(明治43)からはドイツのハイデルベルク大学を中心に、政治学を修めるため満3か年の西洋留学に出発します。
吉野はヨーロッパの地で学問を深めるかたわら、現地の人々と交流を深め、西洋社会を深く観察しました。ドイツの下宿先の女中が夜学校で天文学や解剖学を学ぶ様子からは、社会階層や性別にかかわらず教育を重んじる西洋社会の先進性を知りました。また、ウィーンでは生活必要品の価格暴騰に対する民衆のデモ行進が整然と秩序だっている様子からは、西洋の進んだ民主主義の姿を見ました。あるいは西洋各地で、人々が自治的に町や村の生活を守っている様子に感心しました。これらの体験や見分は、いずれも吉野の民主主義に対する考え方の基礎となっていきます。
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